★糸魚川翡翠は特別な石

遥か悠久の昔。原始日本で私たちの祖先は、翠(みどり)のやわらかな光をたたえた石を海岸で拾いました。その石の名は、糸魚川翡翠。地質学的にも珍しい沈み込み帯(※)上に形成される「フォッサマグナ」と呼ばれる地形の特性により生まれた石です。太古の昔から日本人に愛された翡翠は、日本文化を象徴する石として2016年に国石になりました。

※沈み込み帯 … 地球表層で、二つのプレートが重なり合う場所において、一方のプレートの下にもう一方のプレートが沈み込む帯状の部分。

Special stone #1

糸魚川翡翠とは

自然の風景の結晶

46億年前に原始地球が誕生し、やがて地球の内部が冷え始め、世界の数か所でひすい輝石(※)を含む岩石が生まれます。その後「沈み込み帯」と呼ばれる限られた場所で、純度の高い翡翠が形成されました。その中でも大変希少な翡翠が、今から5000年以上も昔に日本で発見された糸魚川翡翠です。
糸魚川翡翠はダイヤモンドやルビーなど単一の鉱物でできている宝石とは異なり、さまざまな鉱物が集まって形成されたものです。

元来、結晶が純粋で発色の原因となる不純物元素(イオン)を含んでいない場合、翡翠を形成するひすい輝石の結晶は色をもたず、白くなります。様々な元素がほんのわずかに入り込むことで、交じりあい、永い時をかけて複雑な色合いを生み出してきました。それは人間の力でコントロールできません。自然の美は、一定ではないものだからこそ美しいのです。糸魚川翡翠の美しさは職人の手を経て、さらに輝きを増してゆきます。

※ひすい輝石 … 輝石グループの鉱物。ナトリウムとアルミニウムを含む単斜輝石で、化学組成は NaAlSi2O6である。純粋なものは白色だが、微量の鉄やクロムを含有すると緑色、微量の鉄やチタンを含有すると紫色になる。ひすい輝石を主要(85%以上)な構成鉱物とする岩石を硬玉(ジェダイト)と呼ぶ。

Special stone #2

歴史から見た糸魚川翡翠

世界最古の翡翠文化をもつ日本

翡翠は古くから世界中に愛された痕跡が残っています。実はその中でも最も古い文化を持つと言われているのが日本。
縄文時代前期(約7000年前)にはすでに磨製石器として翡翠が道具に使用されていたといわれています。宝飾品としては縄文時代中期ごろ(約6000~5000年前)からは、勾玉などの宝飾品として加工・流通され始めました。
弥生時代になると翡翠の玉や首飾りなどが貴重な交易品になりました。新潟県の坪ノ内遺跡で見つかった勾玉も有名ですが、佐賀県の吉野ケ里遺跡、青森の三内丸山遺跡など全国で出土されました。糸魚川でしか採れない緑色の翡翠が全国で見つかったことから、交易が盛んに行われていたことがわかります。

日本に現存する最古の書物である「古事記」、その中で語られる神話の世界にも糸魚川翡翠は登場します。出雲の神・大国主命(おおくにぬしのみこと)が、翡翠の産地である糸魚川の祭祀女王・奴奈川姫(ぬなかわひめ)に求婚したエピソードが語られています。大国主命は一晩中待たされても求婚を諦めたくない、どうしても手に入れたいと願うほど、奴奈川姫と糸魚川翡翠は得がたく価値の高い存在であったことを伝えています。

糸魚川翡翠の勾玉をもつ奴奈川姫(ぬながわひめ)の像
糸魚川翡翠の勾玉をもつ奴奈川姫(ぬながわひめ)の像
出典:ja.wikipedia

他にも、日本最古の歴史書『古事記』『日本書紀』の中で、天照大神(アマテラスオオミカミ)が孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨に際して授けたものとして、三種の神器が登場し、そのうちのひとつが、糸魚川翡翠の勾玉(=八尺瓊勾玉:やさかにのまがたま)といわれています。
三種の神器は、歴代天皇から皇位のしるしとして大切に受け継がれています。

三種の神器。上から鏡、剣、そして勾玉。
三種の神器。上から鏡、剣、そして勾玉。
出典:ja.wikipedia

※磨製石器 … 石材を砂と擦り合わせたり、他の石と擦り合わせたりする方法で、表面を滑らかに研磨加工した石器のこと。動物の皮を剥いだり魚のうろこを落としたりするために使われた。

※天照大神 … 日本の神様の中でも最も尊い神様と言われており、皇室の祖先とされています。 太陽をはじめ光や慈愛、真実などを象徴します。

※天孫降臨 … この国を豊かに平和に治めるよう、天照大神の命を受けて、天から地上へと向かうこと。

Special stone #3

科学から見た糸魚川翡翠

ジェダイトとネフライト

翡翠は「硬玉(ジェダイト)」と「軟玉(ネフライト)」の2種類が含まれますが、この2つは科学的には全く異なる鉱物です。「ジェダイト」という名前が作られる前に「ジェード」という名前がありました。16世紀、ペルー辺りでインディオ人が腰の周りに翡翠を身につけており、それを見たスペイン人は、それをアクセサリーと思いこみ、”piedra de hijada(腰につけている石)”と呼びました。それがフランス語で”pierre de I’ejade”と訳され、I’ejadeの部分が後に英語で”jade(ジェード)”となったと考えられています。
しかし後になって、腰につけた石は、胃腸の具合が良くないときに内臓を温める温石として使われているものだとスペイン人は知ります。医療行為である事を本国に伝えるため、腰につけている石の形状から「腎臓の形の石」と表現をし、それがラテン語で”lapis nephriticus”と翻訳され、後に英語の”nephrite(ネフライト)”となりました。
1863年にフランス鉱物学者ダモーラによって、ジェードにはジェダイトとネフライトの2種類があり、2つは全く異なる鉱物だと判明されるまで、事実上ジェードは狭義でネフライトであったといえます。
そのためネフライト文化が発展していた中国においても、17世紀以降にビルマからジェダイトが持ち込まれますが、混同してジェード(翡翠)と呼ばれており、今なお混同して扱われることが多いのです。

形成過程と産出地のちがい

ジェダイトは沈み込み帯と呼ばれる限られた地域でのみ形成される、ひすい輝石を豊富に含む鉱物です。一方、ネフライトは一般的な環境下で形成される角閃石です。
ジェダイトは、圧力が1万気圧で200℃から300℃という極めて珍しい低圧・高温の環境で形成されますが、対してネフライトは、ジェダイトの半分程度の圧力(推測値で5000気圧程度)と400℃から500℃程度の温度下で形成されます。
そのためネフライトは産出量が多く、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、ロシア、中国、台湾など世界中で豊富に採れますが、ジェダイトが採れる地域は世界でも限られています。代表的なところでミャンマーのカチン州、中南米のグアテマラ、そして、日本の糸魚川です。産出量が少ないことから、一般的にジェダイトのほうがネフライトよりも価値が高いといわれています。

ジェダイトとネフライトの産出地
ジェダイト(jadeite)とネフライト(nephrite)の産出地

フォッサマグナが産み出した奇跡の石

フォッサマグナとはラテン語で「大きな溝」。明治時代の地質学者ナウマンが名付けました。大陸を支えるプレート同士がぶつかり、地中に沈み込んでいる巨大な溝です。その上に新しい地層が積みあがったエリアが、フォッサマグナです。
フォッサマグナ地域の地質は約2500万年前の新生代のものであるのに対し、これを挟む東西の地質は5億年以上前の中・古生代のものです。

フォッサマグナの圧縮によってできた断層にマグマが貫入し、地下深くにある鉱物や翡翠を含む蛇紋岩が地表に上がりやすかったと考えられます。そのためフォッサマグナの境目に位置する糸魚川市周辺で、多数の鉱物が発見できたのです。

約2000万年前、アジア大陸の東縁が裂けて日本列島が大陸から切り離された時にできた大きな沈み込み帯によって、フォッサマグナが形成されました。

大地の裂け目であるフォッサマグナの真上に位置する糸魚川の地質構造は、世界でも特異な存在です。その裂け目から、奇跡のような偶然が幾重にもかさなりあい、糸魚川翡翠は形成されました。厳しい環境下でありながら、活発な火山活動がもたらしてくれる自然の恵み豊かな糸魚川。世界に類を見ない糸魚川の地形は世界でも認められ、2009年に日本初の世界ジオパークに認定されました。

Special stone #4

こたきが提供する最高の糸魚川翡翠

実は市場を出回る翡翠には、加工したネフライトをジェダイトとして販売している物や、一定の色味と艶を出すためにワックスなどの人工的な加工をしたものが多く存在します。天然の糸魚川翡翠を見分けることは、翡翠に慣れていない方には非常に至難の業です。
糸魚川翡翠工房こたきの職人・赤羽可行は、幼少の時から翡翠に惹かれ、その魅力を誰よりも知り尽くしています。糸魚川翡翠工房こたきが提供する翡翠は、その赤羽可行が間違いなく本物と確信したもののみです。天然の糸魚川翡翠をお求めになるお客様に確実に本物を届けられるよう、これからも努めてまいります。

こたきの翡翠職人 赤羽可行(あかはねよしゆき)
こたきの翡翠職人 赤羽可行(あかはねよしゆき)