世界最古のジェダイト文化を持つ日本。その歴史的な背景から、翡翠は日本の国石にも指定されています。
日本最古の書物である「古事記」で語られる神話の世界や、最古の歌集「万葉集」では、糸魚川一帯を支配していた祭祀女王・奴奈川姫(ぬなかわひめ)のエピソードが語られます。その内容をご紹介します。
奴奈川姫(ぬなかわひめ)は、日本神話に登場する女神です。
古事記に残る 奴奈川姫
の気高さ
奴奈川姫に求婚した大国主命との神語り
【原文】
この八千矛(やちほこ)の神、高志(こし)の國の沼河比賣(ぬなかはひめ)を婚(よば)はむとして幸でます時に、その沼河比賣の家に到りて歌よみしたまひしく、
・・・・(中略)
ここにその沼河日賣、いまだ戸を開かずて内より歌よみしたまひしく、
・・・・(中略)
かれその夜は合はさずて、明日の夜御合したまひき。
(古事記 上(かみ)つ巻〔八千矛の神の歌物語〕より)
【超訳】
大国主命(=八千矛神)は奴奈川姫に求婚しようとして高志の国へ赴いた時、彼女の家の前で高らかに求婚の歌を詠い上げた。
「私は日本中を訪ねながら、自分にふさわしい妻を探していた。遠い遠い高志の国に、賢く美しい姫がいると聞いて、ここまで会いに来た。まだ太刀も解かず、上着すらも脱いでいない。あなたの家の前でこうして戸を叩いているが、いまだに戸が開かないのは姫が眠っているからだろうか。真夜中に鳴く鵺の鳴き声が聞こえてから、既に雉や鶏が夜明けを告げようとしている。ああ、忌々しい。いっそのこと鳥たちを打ち叩いて殺してしまおうか」
その時、扉の中から戸を開けずに奴奈川姫はこう返事を詠った。
「大国主命よ。私はかよわい女なので渚の鳥のように心さびしいのです。今は自由に水の上を泳いでいても、そのうちにあなたの鳥になりましょう。だからどうぞそれまで死なず、命健やかに末永くお過ごしくださいませ。」
「山に太陽が落ちれば、真っ暗な夜が参ります。そして健やかな朝がまた巡ってくるのは道理です。朝のお日様のように、にこやかにもう一度私のところを訪れてください。そうしたら、私の白い腕で、胸で、あなたを優しく抱きとめて、手をつないで体を休めて共に眠りましょう。だからその時まで、そんな辛そうな思いをなさらないで。大国主命よ」
そして姫の言葉通り、翌日の夜に二神はお会いして結婚しました。
(古事記 上巻 八千矛の神の歌物語より)
【解説】
大国主命は、日本神話に登場する素戔嗚(すさのお)の子孫で心優しい神様です。出雲の国づくりを成し遂げたことと、各地に多く残る恋愛伝説から、五穀豊穣と縁結びの神様として大変有名です。
複数の名を持つ神様としても有名で、八千矛の神という呼び名は大国主命の別名にあたります。多くの神が存在する日本神話の中でも、これほど別名が存在する神様は他に存在しません。名前の多さは、大国主命が持っていた強力な権力を示唆します。
「八千矛」はそのまま八千の矛を指し、「武力や軍事力」を象徴しています。
古代日本では、女性に婚姻相手を選択する自由はなく、自分よりも身分が上の男性が訪ねてきたら、その求婚を無条件で受け入れることが常識でした。出雲国の王であり、強大な軍事力を保持している大国主命からの求婚を拒絶することは、古代の感覚ではありえないことです。どんな状態で訪れようとも、すぐさま扉を開けて迎え入れるのが当たり前です。
しかし「古事記」の上巻に書かれている歌物語は、全く違います。
長旅をして高志の国を訪れた大国主命が、一晩中、奴奈川姫の家の前で扉が開くのを待っている様子が描かれています。「こんなに戸を叩いているのに開けてくれないのは、姫は眠っているのだろうか。朝を告げる鳥の声がうっとうしい」と大国主命がいら立っているのが伝わってきます。
大国の王が求婚に訪れているのに、一晩中外で待たせ、扉を開けない奴奈川姫。「明日、気分を落ち着かせてにこやかにお出でくださいませ」と大国主命をたしなめるように詠いかけ、次の日の約束をします。
大国主命は力で扉を開かせることもできましたが、奴奈川姫の言葉を聞き入れ、その提案通り二神は翌日に結ばれました。求婚の場面において、女性の願いを男性が聞き入れる、とても珍しい場面なのです。
相手が強大な存在であったとしても、冷静な対話を求めて大国主命のいらだちを歌で鎮めた奴奈川姫の聡明さが際立ちます。大国主命の歌で「賢く、とても麗しい姫よ」と詠いかけるに相応しい、気高く美しい奴奈川姫。本来ならば大国主命は求婚を諦めても良い場面です。けれど一晩中待たされても手に入れたいと願うほど、奴奈川姫は得がたく価値の高い存在であったことが解ります。
統治を目論んだ大国主命(もうひとつの考察)
別の角度から奴奈川姫の存在を考えると、現在の新潟県から福井県に渡る巨大な経済圏を作り上げていた「高志の國」を統治する女王の存在と一致します。高志の国は、当時からとても貴重な石であった翡翠が産出される土地でした。様々な豪族が各地方で力を持ち始めた時代背景からも、高志の国を手に入れたいと願う豪族は多かったことでしょう。
出雲国を統治する王・大国主命は、巨大な軍事力を背景に、高志の国に従属を要求したのではないでしょうか。大国主命の歌には、「太刀」「打ち止め(打ち殺す)」という穏やかでない言葉が詠い込まれています。そしてこの歌語りには多くの鳥が登場します。鳥は古事記の中で様々なことを告げる存在であり、何かの化身として扱われています。大国主命が打ち殺してしまいたいと考える存在は誰かと考えれば、この結婚に反対した高志の国の人々だったのではないでしょうか。
また、奴奈川姫が返歌で大国主命に「な死せたまひそ(死なないでください)」と訴えています。求婚の場面ではあまりにも不似合いな言葉です。死は、古事記では穢れの意味があります。穢れは不浄で忌み嫌われるものです。古代の人々にとって最も忌み嫌うものは、不幸な事態をもたらす存在です。「忌み嫌われる存在にあなたはならないでください」と奴奈川姫は詠いかけたのだとしたら、武力で攻め込まれることを避け、高志の国を守ろうとした統治者としての賢く気高い奴奈川姫の姿が見えてきます。
【古事記とは】
日本の神話と歴史を記した日本最古の古典。江戸時代に「国学」を推進させた本居宣長の研究により、神語りを伝える書として蘇った古文書のひとつ。 歴史書でもあるが、文学的な価値も非常に高く評価されている。現在研究が進んでいるが、まだ謎多き書物であり、奈良時代以前の日本を読み解くのに必須の研究資料でもある。
万葉集に残る
翡翠の女神 奴奈川姫
【原文】
沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも
あたらしき 君が 老ゆらくしも
(万葉集 13巻 3247 長歌 作者未詳)
【直訳】
沼名川の流れの底にある宝石のような玉。探し求めてやっと手に入れた大切な玉。それを拾い上げて大切に持っている玉。その玉のように大切なあなたが老いていくのは、本当に残念でならないことだ。
【超訳】
姫川の底にある翡翠のように美しいあなたの姿を、私が大切に持っているこの翡翠と同じように、永遠に私の傍で眺めていたいものだ。
【解説】
万葉集に詠まれたこの歌は「あなたの美しさが未来永劫続くように」と詠いかけています。「玉を探し求めてきた」という表現からも、翡翠を求めて沼名川を訪れた男性が愛しい女性に向けて詠んだ大和歌。翡翠のように美しい愛する妻に、永遠にその姿で居てほしいと願いを込めて詠ったものです。
『万葉集』には歌だけが載っており、誰が誰に向けて詠った歌なのかも、成立年代すらもはっきりとは分かりません。神代の時代の歌は、常に謎に満ちています。
謎を解き明かす手掛かりは、土地に根付いた名前です。糸魚川に残る地名から推測すると、沼名川は現在の姫川(長野県北安曇郡および新潟県糸魚川市を流れ日本海に注ぐ河川)を指し示しています。姫川の名前は「奴奈川姫」に由来するという伝承があり、「底なる玉」は糸魚川翡翠を指し示すと考えると、奴奈川姫はこの地の翡翠を支配する祭祀女王であったのではと、推測されています。
また『万葉集』と同時期に成立した『古事記』に書かれた、大国主命(おおくにぬしのみこと)が高志の国に住む奴奈川姫に求婚する神話と合わせて考えても、この歌は大国主命が奴奈川姫に贈った歌と考えられます。もしくは二神の結婚に反対し、大国主命と争った高志の国の神・根知彦(ねちひこ)が、愛しい奴奈川姫に向けて詠んだ歌とも考えられます。
詳細ははっきりとは解っていませんが、奴奈川姫が糸魚川に住む人々に崇拝される美しい女神であったことと、翡翠が当時から歌に詠み込まれるほど価値が高く、その歌が『万葉集』に選ばれるほど皆に愛されたことは、きっと確かなのでしょう。
【万葉集とは】
日本最古の歌集として名高い「万葉集」。
時の天皇から一般市民の防人まで、幅広い人々の心の声を集めた約5千首が収録されている歌集。その成り立ちや、誰が集めたものかなど、様々なことが実は良く解っていない。
【「ぬなかわ」の意味】
古語の「ぬ」は宝玉を意味する言葉。「ぬなかわ」とは「玉の川」=「宝石で光り輝く川」を指し示す。姫川の上流から押し流された翡翠が、当時は姫川流域のいたるところで採れていたのではないかと推測させる名前。
奴奈川姫の神話がいざなう 翡翠の謎
奴奈川姫に訪れる悲劇
大国主命とめでたく結ばれた奴奈川姫。二人の間には建御名方命(たけみなかたのみこと)が生まれました。大国主命は高志の国に稲作を伝えた後、出雲国に勾玉の玉造の加工技術を持ち帰ったとされています。
奴奈川姫のその後については、古事記に記述はありません。各地に残る伝承を読み合わせると、奴奈川姫は大国主命と共に出雲国に向かったエピソードがあります。姫が出向いた出雲には、たくさんの大国主命の妻たちが待ちかまえていました。妻の数は明確ではありませんが、子どもの数は約180人も存在したと文書に書かれています。その事実に驚いた姫が高志の国へと戻った逸話があるのです。
逃げ帰った奴奈川姫を追いかけ、再び高志の国へと赴いた大国主命。その時、逃げ隠れる姫を見つけ出そうと糸魚川の「稚児が池」周辺に生えていた葦の草原へ火を放ち、その一帯を燃やし尽くして姫を探しました。けれど、奴奈川姫は姿を現すことはなく、大国主命は探すことを諦めて墓を建てて出雲に帰った、と伝えられています。
奴奈川姫はその時に命を落としたとも、地元の神に命を守られたとも、様々な逸話が地方の古文書に残っていますが、確かなことは分かっていません。
大国主命と奴奈川姫の子ども 建御名方命の国譲り
日本海側の一大国を築いた出雲にも、終わりがやってきます。大和国が出雲国に、国を譲れと申し出ます。「古事記」で有名な「国譲り」のエピソードです。
「国譲り」の交渉は難航し、最後は神同士の決闘へと発展していきます。
建御名方命は父・大国主命に、最強の武神・武御雷(タケミカヅチ)の神との戦いを命じられます。武闘派の建御名方命は建御雷に力競べを試みますが、敢えなく負けてしまいます。諏訪湖のほとりへと逃げ延びた建御名方命は、この地に永久に留まり決して外に出ないことを誓います。諏訪大社に祀られているのは、この建御名方命です。
母が奴奈川姫であることから、諏訪大社には翡翠を組み合わせたお守りなどがあります。
歴史から消えた翡翠の謎
高志の国は、翡翠という唯一無二の宝玉を産出する国です。そこに住んでいた民は、翡翠を加工する技術を長年磨きあげ続けていました。
出雲の玉造の技術は、大国主命によって高志の国の技術を伝えたとされていますが、それが本当だったかどうかは詳しく解っていません。しかし、出雲から多くの翡翠製の勾玉が出土していることからも、高志の国と出雲国は密接な繋がりがあったのでしょう。出雲から出土した翡翠製の様々な品は、糸魚川翡翠であると言われています。
出雲だけでなく、日本全国の遺跡から翡翠は出土し、その流通は日本国内だけでなく5世紀から6世紀にかけて朝鮮にも渡っていたことが確認されています。
日本全国のみならず、海外にまで輸出されていた糸魚川翡翠ですが、それ以降いったん歴史から姿を消し去ります。
なぜ翡翠が歴史の表舞台から姿を消してしまったのでしょうか。その謎はいまだ謎のままであり、どうして翡翠が消えてしまったのかは誰にも分かりません。そして、出雲国から逃げ帰った奴奈川姫が焼き払われた葦原から姿を現さず、そのまま消えてしまった伝承とリンクしているのは、全くの偶然なのでしょうか。
糸魚川の神社には、地方の神々に守られた奴奈川姫の伝説が多く残っています。姫を守った地方神のように、糸魚川の人々は何らかの理由で翡翠を権力者から隠さなくてはいけなくなったのかもしれません。
長い歴史の中で糸魚川翡翠は心ある人々に守られ続けていました。現在の私たちは翡翠を楽しめるのは、そんな糸魚川の人々のおかげなのかも知れません。